空海(くうかい)<弘法大師>
771年〜835年(宝亀5年〜承和2年)
真言宗の宗祖である空海は、
宮島の主峰である弥山を大同元年(806年)に開創しました。
留学僧として唐に渡って真言密教の奥義を極めた後、帰国する途中に弥山に御堂を建て霊場とし、100日間の求聞持(ぐもんじ)の修行を行ったのが始まりです。
平清盛(たいらのきよもり)
1118年〜1182年(元永1年〜治承5年)
平安時代末期の武将である平清盛は、1146年(久安2年)に安芸守となってから夢枕に立った老僧から「厳島神社を造営すればきっと位階を極めるであろう」と言われ、宮島を深く信仰するようになりました。
後に
厳島神社を寝殿造りの社殿に修造させ、数々の美術工芸品や平家納経を奉納したのです。
また、京の文化を宮島に移して宮島の繁栄に多大に貢献しました。
偉積をたたえ、1954年(昭和29年)には没後770年を記念して清盛神社が建てられています。
毛利元就(もうりもとなり)
1497年〜1571年(明応5年〜元亀2年)
戦国時代に中国地方のほぼ全域を支配していた名将で、厳島神社を深く崇敬していました。
厳島合戦で陶晴賢を打ち破り、中国地方の覇者となった時に神域を汚したことに心を痛め、すぐに戦死者や負傷者を対岸に移して流血を洗い流すなど行い、戦いの痕跡を残さないように尽力したのです。
また、
厳島神社の天神社や能舞台の寄進、反橋や大鳥居の再建、本殿の改築など大規模な修復を行いました。
豊臣秀吉(とよとみひでよし)
1536年〜1598年(天文5年〜慶長3年)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名である豊臣秀吉は、1587年(天正15年)に
九州平定に向かう途中で厳島神社に社参した際、戦没した将兵らの慰霊のために大経堂(千畳閣)の造営を命じました。
しかし、完成間近の1598年(慶長3年)に秀吉が急逝したため工事は中止され、天井の板張りや正面入り口などが未完成のままとなっています。
また、大聖院の勅願堂には秀吉が朝鮮出兵の際に祈願した念持仏・波切不動明王が祀られています。
誓真(せいしん)
1742年〜1800年(寛保2年〜寛政12年)
江戸時代後期の僧である誓真は、厳島の光明院で修行していました。
当時、産業がなく
苦しい生活を送っていた島民のために宮島杓子を考案し、島民に教えました。
また、誓真釣井(島の水不足を解消するために托鉢で資金を集めて掘った井戸)、水路、石畳の道路などを造りました。
伊藤博文(いとうひろふみ)
1841〜1909年(天保12年〜明治42年)
初代内閣総理大臣である伊藤博文は、弥山の三鬼堂への信仰が厚く、度々訪れていました。
弥山頂上からの「日本三景の一つの真価は頂上の眺めにあり」と感嘆し、登山道の整備を行いました。
また、紅葉谷で紅葉を楽しんでいた時、茶店でお茶を出す少女の手を見て「紅葉のような可愛い手。焼いて食べたら美味しいだろう」と言ったことから、紅葉まんじゅうが生まれました。
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